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カリフォルニア州マウンテンビュー在住のソフトウェアエンジニアがいろいろ書きます。

映画「ワールド・ウォーZ」の感想

ワールド・ウォーZを観てきた。感想を書こう。

だが、気をつけてほしい。ここからはネタバレ全開でいく。未見の人への配慮などしない。ネタバレなしにこの映画について語るだけの力を僕は持たない。

覚悟を決めるんだ。なにかを失わなければ、なにかを得ることはできない。

ひとことでいうと

ブラッド・ピット主演のゾンビゲーム映画。

そう、ほんとにビデオゲームだった。

ビデオゲームと映画、どちらも物語を語る媒体として非常に効果的に使うことができる。だが考えてほしい。なにかを物語るとき、ビデオゲームに特徴的なものとはなんだろうか?

まず、明確な目的を設定しなければならない。CoDでもドラクエでもポケモンでも、プレイヤーは目的を与えられ、シナリオに命じられるがままに行動する。GTAのように自由度の高いゲームであっても、自分で目的を脳内設定し、目的を達成するためにプレイヤーはキャラクターを操縦する。

そしてもうひとつ、出来事をひとりの視点から主観的に描くこと。主人公を操るタイプのゲーム(それはゲームの大半を占める)にとって、視点を一人称で固定することは重要だ。視点をザッピングしてシーンごとに操るキャラクターを変えるゲームもある(CoDHEAVY RAINがそうだった)が、それは少しのストレスを伴う。シーンが切り替わるたびに、自分がいま操っている人物が誰で、どんな経緯で物語に関わってきたのか思い出さねばならない。一般的なビデオゲームプレイヤーは週に何時間のプレイ時間を確保できるだろうか? ゲームを起動するたびに、キャラクターの過去や動機や状況を正確に思い出せているのだろうか?

これらふたつの点を考えると、ワールド・ウォーZはまさしくゲーム的な映画だったといえる。

舞台を変え、移動し続けるジェリーを見ているとアクションゲームをプレイしている気分になる。MGS4とかThe Last of Usとかそのへんのゲームだ。

視点はつねに主人公のジェリーを追う。彼は「家族の居場所を守る」という明確な目的のまま最初から最後まで突き進む。そこに苦悩はない。迷いもしない。苦痛や危険に怯むことなく、強靱な意志を外敵に叩きつけ続ける。

ストーリーはどうだったの

小さなシークエンスの積み重ねだけで、大きな盛り上がりはない。はっきり言うと物足りなかった。

  • 家族を守りながら必需品をスーパーマーケットから入手せよ
  • アパートメントから脱出せよ
  • ウィルス学者を護衛せよ
  • 給油までの時間を稼げ
  • エルサレムから脱出せよ

こんな風に、小さなミッションをクリアすることで話を進めていく。たまに「元CIAエージェントから情報を聞き出せ」のようなパズル系のミッションが出題されたりもする。最後のアクションも小さかった。

希望の星があっさり死んじゃうところはちょっと楽しかった。あとモサド。暗殺も拷問もしない、それどころか妙に友好的で国連に協力さえしてくれるモサド。モサドというと目的のために手段を選ばず超法規的な行動をためらいなく起こす強敵のイメージしかなかったのでびっくりした。それと女性兵士が活躍するあたりがイスラエルらしいなーと思った。それにしてもあのお姉ちゃんすぐ拳銃撃たはるな、あれはイスラエルのステロタイプなのかなー。。。

と、このように、物語的にはイマイチだけど、ボンクラアクション映画として見たらそれなりによかったよ! 楽しいよ! ボンクラーばんざい!

ゾンビ映画なのか?

正統派ゾンビ映画か? というと必ずしもそうとはいえず、ゾンビ映画らしくない点がかなり目立っていた。

まず人間同士が協力しあうこと。

ゾンビストーリーには人間同士の対立がつきものだ。特にアメリカを象徴するような、人種や労働階級、宗教など社会的位置による対立に焦点が当てられるものが多い。ゾンビ映画といえば人間同士の争いだ。大半の人はそう思っているだろう。う。

だがワールド・ウォーZは違う。人間同士はほぼ戦わない。敵はゾンビだ。そしてゾンビになった人間にかける慈悲はない。ゾンビ殺すべし。よくあるゾンビ映画では、家族がゾンビになって殺すのをためらったりするのだけど本作では家族はみな安全な場所にいる。安心してゾンビは殺していい。

人間同士でちょっと対立が起こりそうになるのは、スーパーマーケットでの商品の奪い合いと、空母での在住権、それと研究施設で互いを疑うシーンくらい。たいてい、大きな問題には発展せずにすぐ緊張はほぐれる。在住権は、まあ狭い空母だし人がいっぱいいるんだからそうなるのも仕方ない。

この映画は助け合いの精神に満ちあふれている。

アパートメントに住むヒスパニック系の家族に匿ってもらったり(ウォーキング・デッドの第一話もこんなんだった)、初対面のイスラエル女性兵士を感染の危険から救ったり、元CIAの裏切り者に手がかりを教えてもらったり、モサドのエージェントから詳しい事情を聞いたり。なんでかわからないが、主人公とそのまわりの人々は頻繁に博愛精神を発揮する。実にありがたい。こんな人たちがいるなら人類も大丈夫だ。終末は来ない。

民族対立を想起させる嘆きの壁で街を守りながら、イスラエルは、ゾンビから逃れてきたアラブ系の人々を受け入れる。おいこれほんとにゾンビ映画か。疑心と恐怖から互いに殺し合ったりするんじゃないのか人類。

避難民を受け入れていることがそのあとのゾンビ海による壁突破の原因になるのだけど、それはそれで「だから避難民を受け入れるべきでなかった」という人が登場しないあたり、WWZの世界は人間同士が信じ合っているらしい。

そういえばパシフィック・リムも壁が突破される話だった。進撃の巨人もそうだ。当然、製作中に他の映画のシナリオを知るはずもないから偶然だろう。時代性、というか一種のシンクロニシティだ。ホワイトハウス・ダウンエンド・オブ・ホワイトハウスも同じ時期に公開されたし、アンツとバグズ・ライフもほぼ同時だったし、映画の世界ではこういうのよくあるみたいだ。

ところで展開がゲームすぎやしないか

映画の後半、ブラピと頼もしい仲間達はゾンビのうごめくWHO研究施設内に踏み込む。もういちど言うけれど、本作はかなりゲームっぽい。特に後半シークエンスはまるっきりステルスゲームだ。

装備は以下の通り。

彼らは音を立てずに見つからないよう気をつけて研究施設内を進む。音を立てるとそれに反応してゾンビたちが活性化するから、殺すときもできるだけ静かにやる。うん、そういうゲームありますね。

研究スタッフのひとりがThe Last of Usの主人公のおっちゃん(ジョエル)とよく似てたのでよけいにThe Last of Usを連想させた。ピエルフランチェスコ・ファヴィーノさんね。

まとめ

  • ゾンビだった
  • ゲームだった
  • ボンクラ映画だった

日本ではゾンビ映画であることを隠して宣伝してることで話題だけど、意外となにも知らないカップルなんかが観に来たら

「ゾンビだったね! 予想外だったけど面白かった!」

とか言って喜びそうな気もする。家族で見ても大丈夫。ゾンビ映画の認知拡大のためにはそういう戦略を採ってもよいと思う。